カワイーヌ・ティトの北欧生活

北欧で暮らすハバニーズ、ティトと飼い主Matte&Husseの日常

ツイてないと思ってたけど、そんなことなかった

風邪を引いた時の家事

先週半ば、Husseが風邪を引きました。ゴホゴホ咳をしていたので、これはきっと私にも移るな...と思ったら案の定、見事に私も風邪を引きました。今日やっと回復して3日ぶりにティトと朝の散歩へ。ん〜清々しい!

 

ひどいくしゃみと発熱。

幸い私が寝込むのと同時にHusseが元気になり、ティトの散歩や買い物などをしてくれたので助かったのですが...。

私は家事全般に自分なりのこだわりがあり、もし手伝ってくれるのならばそれを尊重して欲しいとHusseに伝えています。でも彼は何度伝えても独自の方法をゴリ押ししてくるので、私は逆に疲れてしまって、だったら最初から全部自分でやろうと思ってしまいます。

そんなわけで今回も、熱でフラフラになりながら最低限の家事をこなしました。水枕を抱えてベッドに倒れ込み、あーやっと休める...と遠のく意識のなかでふと考えました。

...。

わたし、なんでこんな辛い思いしてるんだ?

変なこだわりなど捨ててしまえば楽になるのに...!

こだわりに応えてくれる存在

小学3年生の時、きっかけは忘れましたが母とケンカをして、もう明日から自分のものは自分で洗濯しなさい!と怒られたことがありました。私は悔しかったので、それから大人になって実家を出るまで、母の言う通り自分の服は自分で洗濯していました。

洗濯に関してはケンカきっかけではありましたが、それ以外にも食器の洗い方、掃除の順番など、母は私に細かく教えてくれました。料理だけは全く興味を持てなかったので母は諦めていましたが。

そんなわけで、母が旅行に行く時や風邪を引いた時は私が家事を担っていましたが、母は安心して任せているように思いましたし、私も母の思う通りにやってあげたと感じており、感謝したまえ、などとふざけて言ったりしていました。

母もなかなかこだわりが強く、父や兄には決して頼みませんでした。

母にとっては、自分のやり方を尊重してくれるのは娘の私だけであり、私にとってのそれもまた、母だけなのかもしれません。

Husseに母のようにおねがい!と期待するのは酷ですし、たとえ洗い終えた食器に油が残っていても、たとえ洗濯物がぐしゃぐしゃでも、やってくれただけ有り難いなと思わないと、この先歳をとった時もっと自分が辛くなる…なんて考えてしまいました。

でも私そんな心広くないしな、困ったな...うーん。

ツイてないと思っていたことを振り返ってみると...

そういえば前回日本に帰った時(今から4年半前)も、こんな風に寝込んだっけ...とぼーっとした頭に記憶が蘇ってきました。

私が滞在していたちょうどその頃、インフルエンザが猛威を振るっており、実家に住む甥っ子達や兄も感染していました。実家には10日程の滞在予定でしたが、1週間経った頃私も見事に移ってしまいました。人生初のインフル感染。

保険証がないので病院に行けず、凄まじい関節痛と悪寒、高熱でベッドに寝たまま数日過ごしました。良くなってもすぐには外出できず、その後楽しみにしていた1週間ちょっとの東京滞在はたったの3日に。約束していた友人何人かとは会えず、そのままスウェーデンに帰ってきて、なんてついてない一時帰国だったんだ、とがっかりしていました。

でも今回高熱で寝ている時、あのインフルエンザで寝込んだ日々がどれだけ貴重な時間だったのか思い知らされました。

現在、母は認知症で私のこともはっきり覚えていません。記憶障害の進行がとても早く、色々なことを忘れています。

その母が、前回の帰国時に寝込んだ私を看病してくれました。がくがく震えていると布団をもう一枚そっとかけてくれたり、着替えを用意してくれたり、飲み物や食べられそうな物を用意して運んでくれたり。家事のことなど一切心配する必要なく、子どもの頃のように母に看病してもらったことは、もしかすると20代半ばに実家を出て以来初めてだったかもしれません。

当時はインフルなんてツイてないな...なんて思っていましたが、今思えば幸せな時間で、元気だった母との、ある意味最後の、とっても良い思い出になりました。

これから先、寝込んだ時には必ずあの時の母を思い出すんだろうなぁなんて思っています。人生何が良くて何が悪いのか、すぐにはわからないものですね。

人間万事 塞翁が馬。

浮かれず落ち込まず、爺のようにどっしり構えながら広い視野で生きていきたいです。Husseにももう少し頼りつつ。

 

何か食べたいものある?と言われて、その時母にリクエストした冷や奴。

おかぁーさぁーーん!ありがとーう!

 

kawaiiinu-tito.hatenablog.com