カワイーヌ・ティトの北欧生活

北欧で暮らすハバニーズ、ティトと飼い主Matte&Husseの日常

白い散歩道

今は冬です。北スウェーデンの冬といえば、暗さと寒さ。しかし今シーズンはとっても暖かく、恐らく新潟や長野の方が寒かったと思われます。暖かいのは体が楽だけれども、地球的には良くありません。その時その場所に適した気温というものがありますので、どうか寒くなって下さいと願っていました。

願い、叶う

はい。今日叶いました。−13℃で体感気温は−17℃。まだちょっと暖かいですが、良しとしましょう。仕方がありませんね....。地球のことを思えば、寒いとか言っていられません。

それにしても。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒いね!

言うよ、何度でも。

寒いね!

でも知っています。北極圏はまだ本気を出していません。−20℃も余裕で超えますので、今から心して時を待ちたいと思います。

ティトはヒートテック的なインナーに毛糸やダウンを重ね着してお散歩。ここでは特別な事ではありません。むしろティトは厚着の方です。ここで暮らす犬達はいつも通り毎日3回散歩に出掛けます。

まだ震える寒さじゃないよ。
 

冬バージョン

家の裏から続く散歩道。そこではティトはノーリードで自由に散歩を楽しみます。季節によって変わる風景も散歩の楽しみの一つです。

秋は紅葉がきれいでした。

kawaiiinu-tito.hatenablog.com

夏は緑でいっぱいです。

kawaiiinu-tito.hatenablog.com

そして冬。裏道は真っ白になりました。

今、僕は、片足をあげている。
なぜって?言わないよ。

 

この時、時間は12時半。もうすぐ日没でしたが、珍しく快晴で太陽を見る事が出来ました!何日振りでしょうか...。この時期こんなにはっきり見える事は稀です。

しばらく光を浴びて、エネルギーをチャージしました。

マリメッコなどの北欧テキスタイルが何故派手な色使いで、大胆なデザインなのか、暮らしてみて良くわかりました。この暗い冬、せめて家の中は明るく華やかに飾ろう、鮮やかな色や力強いデザインからパワーをもらおう、という工夫から導かれたものです。私自身、そんなテキスタイル達にどれだけ癒されているか...。助けになるものは音楽であったり、スポーツであったり、人によって様々だと思います。暮らしの知恵。先人達の偉大さを改めて感じます。

幸せしかない

帰宅後、ティトは昼寝に突入します。お正月ですから、私も一緒に昼寝を楽しみました。するとどうでしょう。幸福感もチャージすることができました。

うね

 

安心しきった寝姿のティト。なんてかわいいんでしょう...。足がアザラシの赤ちゃんみたいになっています。

うねうね

 

たまにぐいーんと伸びては大きなため息をつき、また寝相をかえます。私は眠るどころではなく。ティトが可愛くて目を離せず、睡眠の邪魔をしないように写真を撮りまくりました。

あぁかわいい...。ここには幸せしかありません。出来る事ならむぎゅうと抱きしめて、お布団にもぐってぬくぬく一緒に過ごしたい...。ティトはあまりベタベタされるのが好きではないので、それが無理なのはわかっています。私は眺めてニヤニヤするのみですが、我慢出来ます。だってかわいいから...。

……これでも?

 

う、うん。か、かわいいじゃ...ん。

ティトはたまにえげつない寝顔になることがありますが、これからもこんな幸せを満喫したいと思います。

北欧テキスタイルの力強さと、コツコツすすめる手仕事、そしてティトからもらった幸せホルモンで冬を乗り切る!

スウェーデンでお餅をついたよ!

2021年が始まりましたね。遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 

昨年の暮れに一年を振り返った記事を書こうと思ったのですが、トラウマ級に思い出したくない事が数件あった(コロナではなく)ので、やめました。早く終わってしまえ2020年。ということで新たな年を迎えた今、このブログと共に前向きにスタートしたいと思います。

とか言いながら年末の話を少々。

年末年始は日本が恋しくなります。実家には祖父母がいたので、成人する頃までは叔父や叔母やいとこ達が集まり、毎年総勢15〜20名でお正月を祝っていました。母と祖母はおせち料理や御馳走作りに数日費やしており、お酒を飲んでいる男性陣の陰で当日は慌ただしく働いていたのを覚えています。

おせち?特別これといって食べたいものないし。とか言っていたあの時の自分!それが如何に贅沢な事だったのか、今更痛感しています。食べられなくなるから今のうち食べておくがいい、と過去の自分に言いたい。年齢が増したせいか、もしくはあまのじゃく的に、最近では黒豆とかクワイなどが無性に食べたくなりました。あぁ、せめてお餅だけでも...!

という訳で年末、アジアショップでタイ産の餅米を買い、家で餅つきをしてみました。

レッツ、ボンカボンカ!

一晩お水に浸けた餅米を蒸した後、小さな石臼に入れて潰すようにまずはぐりぐり。普段はスパイスなどをゴリゴリする大きめの乳鉢ですが、少量の餅をつくのは最適な事に気付きました。数年前、私の反対を押し切ってコレを買ったHusse。あの時はごめんなさい。

 

つぶれてきたら、いよいよ餅つき。振り上げた腕を餅米めがけてふりおろす!ケンカした時には良いストレス発散になりそうです。

お餅つき=ぺったんこ。しかし固定概念がないHusseにとっては、お餅つき=ボンカボンカ、らしいです。10分くらいHusseと交代でボンカボンカすると、伸びてきました!

びよーん

 

本当にできるかな...と不安でしたが、餅っぽくなってきて気分は上昇。片栗粉にまぶしながら小分けに丸めて出来ました。おもち。嬉しい!

.....おもち?

 

いや、おはぎ...?思いきり明るく加工してアラを飛ばしてみましたが、おはぎ感はぶっ飛ばず。しかも大きさの違いったら。年が明けてもおはぎ感は相変わらず。

で、でもきな粉とかにまぶしたらお餅っぽくなるよきっと!

いや、ならなかったよ!

......。

 

もっとおはぎになりました。でも味はお餅。せめてもの救いです。

あんこは豆を間違えてかってしまい、2時間以上煮ても全然あんこにならず。試しに写真のようにして食べてみましたが、豆の歯ごたえがあり過ぎてテンションがた落ちです。残りはジップロックに入れて板状にし、冷凍庫で固めてあずきバーのようなアイスにしました。

残念な結果になりましたが、自分でお餅を作れる事がわかったのは良い収穫でした。今度はお雑煮にしてトロトロなお餅を食べてみたい...。

年越し

スウェーデンの年越しは、花火で祝います。近所でも割と大きな打ち上げ花火をあげてくれた人がいて、私達はそれを家からみて過ごしました。

雷や花火の音を犬は怖がります。近所の犬はワンワン吠えていてかわいそうでしたが、ティトはあまりこわがりません。それよりも睡魔が勝ったようで、部屋の隅でウトウトしていました。

ぐう。

 

よし、今年はこの目標に向かってかんばるぞ!という時代は私の中で過ぎました。向上心が無くなったわけではなく、なんというかただ自分らしくいたいと思っています。あまり力まず正直に、昨年反省した事を繰り返さぬよう、楽しく過ごしたい...。

でも第一はみんな健康で。

皆様にとりましても良い年となりますように。

今年もどうぞ宜しくお願い致します。

ベビーネスト作りと、乳児院の思い出

先日、友人が元気でかわいい女の子を出産しました。

お母さんになった友人は、出産前にベビーネストを作ろうとしていましたが、難しいとの事でヘルプ!と連絡を貰いました。ならば出産祝いに、と私が変わりに作る事に。生地や材料だけ選んでもらって、いざ縫わん。

 

実は予定日が1ヵ月弱早まって、慌てて作りました。動物が描かれた可愛い生地と、落ち着くグレーのもくもく柄。

 

ぎゅーっと紐を引っ張ると、廻りが起き上がって壁になります。表裏はないので反対側に折り返し、黄色面を内側にする事も可能です。綿がもこもこなので、寝返りを打っても大丈夫。ストッパー部分にはカバーを被せて出来上がり。

 

早速届けに行くととても喜んでくれました。その後使用している写真を送ってくれましたが、赤ちゃんがとっても可愛くて、私も幸せな気分に。

赤ちゃんという存在は見ているとなんだかウルウルしてきます。無事に産まれて来られてよかったね、よく頑張ったね、と。歳とともに増すそんな気持ち。あと20年後とか私どうなっちゃうんだろう...ってちょっとコワイです。赤ちゃんを見る度に号泣でしょうか。生きていると本当に色々出来事があり、平坦な人生などどこにもありませんが、どうか健康で、楽しいと思える事を見つけられて、笑顔の多い人生を歩んで欲しいと願います。それが如何に難しいことなのか、わかるからこそそうであって欲しいと願ってしまいます。

 

赤ちゃんを見ると、私は思い出す事がいくつかあります。

 

私は高校を卒業後、短大の保育科で幼児教育について学びました。その後幼稚園の先生として数年間働いたのですが、学生時代の夏休みはとても忙しかったのを覚えています。

保育園、幼稚園、施設への実習で遊ぶどころではなく、レポートや指導案作成に明け暮れていました。なつかしい。

施設実習というのは児童養護施設、障がい児支援施設、乳児院など、いくつか選択肢がありました。確か自分である程度は選択出来たと思うのですが、私は乳児院で2週間実習させて頂きました。

乳児院はざっくり言うと0歳〜2歳までの乳児が、保護者と離れて生活する施設です。事情は本当に様々です。 

一人の女の子がいました。

その子はもうすぐ2歳になろうとしていましたが、足や骨に障害があり、言葉の発達も少し遅れていました。両親は見た目にもわかる彼女の足の問題に愛想を尽かし、育児放棄。恐らくこのまま施設で暮らすか、里親を探すことになるだろうと先生方はおっしゃっていました。彼女はなぜだか私に懐いてくれて、朝訪れると一生懸命這って私のところに来てくれました。私は彼女を抱き上げ、テラスに出て外の空気を吸ってみたり、野良猫を一緒に観察したりしました。彼女の柔らかい手足の感触も覚えています。色々思い通りに出来ない事で頻繁に癇癪を起こしていましたが、同じくらい良く笑う可愛い子でした。

たったの2週間でしたが、今でもたまに彼女は今頃どんな風に過ごしているかしら...と考える事があります。幸せだと感じながら暮らせているかしら...。

実習中、生後5日の赤ちゃんがやってきました。流石に実習生ではなく、ベテランの先生方でお世話をしていましたが、生後5日って...先週この子はこの世界にはいなかったんだよな...と思うととても不思議な気持ちになりました。まさか親と離れて暮らすことになるとは思ってもみなかったことでしょう。保護者を責める訳ではありませんが、子どもの立場になってみると、なんともやりきれない気持ちになりました。

 

私も足に障害を持って産まれました。生後間もなく手術をし、成人するまで治療を続け、ありがたい事に今では日常生活にほぼ支障はありません。母子ともに健康で産まれて、何も問題がなく両親や家族と過ごせる事は当たり前ではありません。大抵の人はわかっていることですが、誰もがそう思えたら、世の中にはもっと優しさが広まるのにな、と思います。

 

友人の赤ちゃんは、素晴らしい両親のもとに産まれてきました。しかし、スタート地点から人生が厳しい人もいます。それに負けずに頑張って生きろというのは酷です。

私は基本的に一人が好きですが、大切な友人も数人います。彼女達には本当に日々助けられています。一緒に生活しているHusseはもちろんですが、くだらない話や愚痴、相談事などを出来る相手がいるという事は本当にありがたく、支えられています。逆に、友人やHusseに助けが必要な時は出来る限り寄り添いたいと思っています。

誰でも好きになる必要はありませんし、誰からも好かれる必要はありません。しかし、安心出来る場所や、心を許せる存在がいるということは、何にも代え難いものです。お金でも買えません。

ここにいると落ち着く、この人といると癒される。あの乳児院にいた子ども達を含め、世の中の子ども達にとって、そういったものが見つかるよう願います。

それをくれるんだね。

クリスマス当日。私とHusseはプレゼント交換をする習慣がないのですが、今回私はささやかなプレゼントを用意しました。

 

日本の入浴剤です。しかも一袋だけ。というのも、2年前に帰国した時に大量に購入したものの残りです。あと2つしかないうちの一つ。貴重。そもそも買った時に半分こしたのですが、彼は早々に使い切ってしまいました。使い方には性格が出て面白いです。Husseはいわゆる”温泉の素”が大好きで、入浴時にはいつも「水神様、ありがとござます!」と唱えてからじゃぼんしているようです。何唱えてんの?とは敢えて訊ねませんが、お風呂から聞こえてくるソレに私はいつも部屋で一人、爆笑しています。

朝起きてプレゼントに気付いたHusseは非常に喜んでいました。しかも中身は水神様。え、そんなに?っていうくらい喜ぶので若干引きますが、嬉しい気持ちになってくれると私も嬉しいので、結果よし。

私達2人へのプレゼント

Husse両親が私達にプレゼントをくれました。私は自分で気に入ったものしか使いたくないので、後々残るものをプレゼントされるとちょっと困ります。以前は両親からそういったものを色々頂き、困惑する事がよくあったのですが、スウェーデンでもコンマリさんが有名になってくれたお陰で、日本人=モノを持たないみたいに思ったらしく、それからは食べ物など消えてなくなるものをプレゼントしてくれるようになりました。助かる...。

今回はこちら。

 Husse父手作りの雑穀パン

 

ローカルのグルッグ

 

パンは焼きたてで非常に美味。グルッグはクリスマスの時期に飲む、色々なスパイスが入ったホットワインです。私はお酒が弱く、ワインならグラス一杯で顔が赤くなるのですが、こちらはアルコールフリーなのでぐいぐいいけます。やけどをしない程度に温めてから、お好みでレーズンやアーモンドを入れて頂きます。こちらも美味!カップは、5年くらい前に引っ越した近所のおばあちゃんがくれたもの。グルッグ用の小さなカップです。

何かをあげたいと思ってくれる気持ちは、とても有り難く嬉しいものです。

私へのプレゼント

ところで先週、Husseの兄妹にマスクを頼まれて2つ作りました。

今までにも沢山マスクは作って来ましたが、家族や仲の良い人には当然無料で作って渡していました。そして皆さんありがとうと言ってくれるので、私もそれで十分でした。兄妹にも以前2つ作ったのですが、お礼も何も言われず。今までにあった過去の歴史も相まって、私はモヤモヤしていました。そして今、また2つ作ってくれと?前回のはどうした??っていうか、お店に行けば2つで1200円くらいで売ってるけど?

話を聞くと、仕事で使いたいんだけど職業柄黒いマスクじゃないといけない、だから新しく黒い布で作ってくれ、との事でした。

私はパターンナーとしてお金と時間を使い、努力と経験を積み技術を身につけました。それをただで使おうと思ってるね?とは言いませんでしたが、彼女には言いたくなる...。でもHusseの家族なのでしかたありません。作りました。

またお礼もないんでしょ。と思っていたらありました。今回は写真付きのメールでありがとう!って。私はちょっと報われた気がして、その言葉で楽になりました。次回はないけど。

そんな事が先週あった先の今、クリスマスです。

彼女がクリスマスプレゼントを私にくれました。一応紙袋には入っていましたが、包装もなにもされていないブツを見て、私は叫びました。

...........。

 

ねぇ、ちょっと!

なんということでしょう。私の頭の中にはビフォーアフターの曲がリピート...。そこはかとなく漂う、とりあえずあげたった感。しばらく放心しました。たぶん今までの私を見ていたら、こういうものが私の趣味ではないことくらいわかると思うのですが、っていうかこれリサイクルショップで買ってるし、いやリサイクルショップは私も好きだけども!

Husseは笑っていました。こいつ...。

このネズちゃんには申し訳ないけど、このまままたリサイクルショップにお帰り頂いて...と思いましたが、なにせ小さな街なので、兄妹がリサイクルショップに舞い戻ったネズちゃんを見かける可能性も大きく、私は気持ちのやり場及び、ネズちゃんの置き場に困りました。どうしよう...。しかしネズちゃんに罪はない。散々私になんだこれおい!と言われ続けるネズちゃんがちょっと可哀想になってきました。それもこれも適当な気持ちで渡す彼女のせい...にしたい。

とりあえず玄関にいてもらおう、と思って移動させた私。その後部屋でのんびりして、ふとお昼寝しているティトを見たら、こんな事になっていました。

 

こら、こら、こら。

ティトを見下ろすネズちゃん。誰がこんな場所に...って奴しかいません。Husseになぜここに移動させた?と聞いたら、ティトに異常がないか見守っている、との返答が。

もう、なんか、この兄妹...。でもティトはまんざらでもなさそう...。

もう一度書きますが、何かをあげたいと思ってくれる気持ちは、とても有り難く嬉しいものです。でも冗談抜きで気持ちだけで十分です。

適当さが伝わってくる&消えないプレゼントは一生本当にいらないぜ!って思った2020年のクリスマスでした。