カワイーヌ・ティトの北欧生活

北欧で暮らすハバニーズ、ティトと飼い主Matte&Husseの日常

近づけてくれた気持ち

スウェーデンに移住して一年目、想像以上に大変なことが色々とありました。スウェーデン語は日本でも勉強しておりましたが、生活の為の言語となるといかんせん難しく(今でも)、その他こちらの国民性やら暗黙のルールなどで何度も壁にぶちあたり、私のアイデンティティは崩壊しました。海外移住あるあるですね。

当時は特に簡単な言い回ししかわからなかったので、相手は私にわかりやすく説明する為に、まるで子どもに話しかけるように話しました。実際それはとても有り難かったのですが、内容も子どもに聞くような事柄だったりして、大人として扱ってもらえない感覚に陥りました。語彙力がないとそうなってしまうのは仕方がないと頭ではわかっていても、非常につらかったのを覚えています。また、ここは日本から遠く離れた国の田舎町で、とても保守的です。日本は文化が遅れていて野蛮で汚い、などのイメージを持っている人もいました(メダルかじる人とかいるから、ある意味当たっていますが)。はっきりとそのように言う人はもちろん居ませんでしたが、会話していると感じることがよくありました。

私はわりと人付き合いは慎重ですし、一人でもあまりさみしいと感じません。元々人見知りですし、日本人の集まりにもあまり積極的に参加しません。日本にいる友人とは簡単に連絡が取れますし、家にはHusseもいます。わざわざ輪を広げようとも思わず、自分が楽で居られる生活をなるべく心がけていました。それは私の気質であり、どの国で暮らそうと同じことです。

でもそのようにずっと一人で居ると、Matteってかわいそう...と思う人が出てきます。しかし”かわいそう”って何でしょうか。

私を不憫だと憐れみ、過剰に同情する人には辟易します。一人で友達もおらず言葉も拙い、そんなMatteを助けたい!という人が以前実際にいました。断るのも悪い気がして最初は色々と連れて行ってもらったりしましたが、私の気持ちが固まる前に色々と準備して話を進めてしまうのでとても疲れてしまい、最終的には全て断るようになりました。

もし私なら、あからさまに困っていたり、しょんぼりして寂しそうな人が居たら声をかけますが、それ意外では助けてと言われない限り私はなるべく立ち入りません(人や状況にもよりますが)。特に助けが必要ではない、もしくはある程度までは自分で頑張りたいんだろうな、と思うからです。

今、身近な人は私のことをだいぶ理解してくれたので、移住当初のようにフラストレーションがたまることはありません。崩壊したアイデンティティも、元通りではありませんが再構築できています(まだ未完だけど)。

 

なぜ今更こんな話をしたかと言うと。

近所にティトをとても可愛がってくれる老夫婦がいらっしゃいます。先日その奥さんとティトの散歩中に会い、世間話をしました。何かのきっかけで旅行の話になった時、こんなご時世だし私はもう歳だし、旅行に行きたいとは思うけどもうしんどいわ、と彼女が話しました。私はその時、私も旅行には行きたいけれどまずは日本に帰りたい。最後の帰国からもう2年8ヵ月経った、と伝えました。

すると彼女は驚いた表情でしばらく言葉を発さず、私を見ていました。そして、あぁ私は泣いてしまうわ...と言ってポロポロと涙をこぼしました。

その一瞬で、私がちょっと悲しそうな顔をしたことに気付き、それだけの期間家族や友人に会えていないという事実に、グッと気持ちを近づけてくれた彼女。外国人で言葉も拙くて孤独でかわいそうなMatte、というよりも、一人の人間としてその辛さわかるわ、と共感してくれたような気がして、私も突然ぐわっと泣いてしまいました。

移住を決めた時にまさかこんな状況になるとは思ってもいませんでしたので、正直つらいですが仕方がありません。自分でも今はそこまで辛いとは感じていませんでしたが、奥さんの優しさに感動して泣いたような、奥さんが泣いている姿にもらい泣きしたような、不思議な体験をしてしまいました。

ですが、個人的な事など一切話した事がない彼女に、私が帰国出来ない間に母が病気になってしまったことなど、自分でも驚くほど吐露してしまい2人でしくしく泣いてしまいました。

すると奥さん、私の肩に手を置いてこんな助言をしてくれました。

いい?辛いときはね、森に行くの。そして泣き叫ぶのよ。内にあるものを全部外に出しちゃうの。そこでは誰も聞いていないから。私も色々な事があったけど、そうしてきたわ...。

わかった、やってみる!とは言えませんでしたが、オーケーありがとう、と伝えて涙を拭い、奥さんの足元でデレデレしていたティトと帰路につきました。

 

奥さんみたいな優しい気持ちを見習わないとな、と思いつつ、女性が森の奥深くで泣き叫ぶって、北スウェーデンあるあるなのか...?という疑問が浮かんだり、あんなに泣いちゃって今度会う時なんかすごい気まずいじゃん...と恥ずかしくなったり、なんだか冷静とメンヘラの間を行き来するようなお散歩になってしまいました。

ティトにしてみれば、突然情緒をこじらせる我々に引いていたかもしれません。

えへへー。もっと撫でて!

 

ん?2人の様子がおかしいぞ...?

 

.......。

 

写真は別日ですが、なんだかこの状況にピッタリ。ティトだったらこんな表情していそうだなーと思ったらちょっとおかしくなってしまいました。

自分のことは自分が理解していれば別にいい、と思っている人もいるかもしれませんが、私は誰かに共感してもらったり理解してもらうことは人を救うと思っています。例え私が一人が好きと言っても、本当の孤独や理解者が一人もいない事には耐えられません。奥さんのように気持ちを近づけてくれる人、共感してくれるHusseや友人に支えられてやっと生きていく事が出来ています。押し付けがましくなく、私はいつでもここにいるからねーと寄り添う事ができるような人になりたいと、奥さんと話して改めて思いました。犬と一緒に暮らしていなければ散歩する事もなく、ご近所の方と話す機会もありませんでした。ティトが繋げてくれた優しさ、でした。