カワイーヌ・ティトの北欧生活

北欧で暮らすハバニーズ、ティトと飼い主Matte&Husseの日常

人間でなければ何なのか。

今日はちょっと指向を変えて今週のお題とやらに挑戦。

 

現在はほぼ問題なく生活していますが、私は生まれつき両足に障害があります。乳児の頃に手術を行なった後、何度かギプス生活を送り、歩けるようになってから成人するまでは矯正靴を履いて過ごす日々を送りました。

足を強くする為には筋力をつける必要があります。陸上では負担がありすぎるので、2歳頃から水泳教室に通っていました。物心つく頃にはすでに泳げるようになっており、走るのが遅くても泳ぎには自信を持てましたし、お陰様で変なコンプレックスを抱く事も無く成長することが出来ました。

週2回の水泳教室。幼稚園の頃は母が自転車で送り迎えをしてくれましたが、小学校に上がってしばらくしてからは、一人で自転車に乗って通っていました。6時間目まで授業がある日は走って帰らなければ水泳に間に合わず、なかなかハードな子ども時代を過ごしていましたが、記憶にない頃からそういう生活だったので、大変だとも思わず暮らしていました。

 

小学校5年生頃でしょうか。水泳教室に新しいコーチがやってきました。

女性でしたが、今の時代には考えられないほどの暴言っぷりで、私は震え上がりました。お前、バカ、へたくそ、そんな言葉は日常茶飯事。それまでにもそこそこコワイコーチはいましたが、頑張れば褒めてくれましたし、子どもながらに愛があると感じていたので、通い続ける事が出来ていました。

でもその女性コーチは別格でした。私が生まれて初めて”鬼”として認識した人は、恐らくその女性コーチだったと思われます。

子ども時代の7〜8年間はとても長いものです。それだけ長く続けてきた事を、彼女のせいで終わらせたくない、と思っていました。足のためにもやめるわけにはいきません。かと言ってこれ以上、鬼の餌食になるのももう勘弁。子どもの頃から陰キャ気質の私は、あの鬼早く消えろ、と本気で毎晩願っていましたが、そんなに上手く事が運ぶわけもなく...。

 

その頃、母も同じスクールで大人のコースを受講していました。そして偶然、その鬼コーチが母の担当になりました。普段から私は盛大に鬼の悪口を言っていたので、その女性コーチ=鬼だということは、母も認識していました。

そして実際に指導を受けて感じたようです。あいつはヤバい、と。

コーチは3ヵ月ごとに入れ替わります。次のコーチに変わるまで、我々は水泳教室を休むことにしました。おそらくその間、母は月謝を払ってくれていたと思います。普段は自分で何とかしなさいと距離を取る母でしたが、流石に我が子を鬼にさらすのはためらったようで、私は水泳をやめる事も無く、小休止という形で無事に継続する事が出来ました。

 

子ども時代に感じた鬼はそんな程度です。当時はそれよりもひどい人間が身近にいなかったので、より恐ろしく感じていました。でも大人になった今、そんな人は世の中に沢山いるとわかりました。実際に人を傷つける、騙すなど、情のかけらも無いような犯罪者は別として、鬼は悲しいかなどこにでもいます。鬼に変身するきっかけはあるのかもしれません。ストレスや家庭環境など、あながち同情せずにはいられない場合もあるかもしれません。過度のストレスは人格さえも変えてしまうので、本当に恐ろしいことです。

ただ、どんな状況であっても、自分は人に優しくありたいと思っています。誰にでもむやみに優しくする必要はありませんが、困っている人がいたら手助けしたいですし、それが自然に出来る人間でありたいです。

 

私にもストレスで笑えなくなる日々がありました。

20代後半、会社で大事な仕事を任されて、期待に応えたいし自分も成長したい一心で、毎日頑張っていました。朝から働いて帰宅は終電。早くても家に着くのは22時。そんな毎日を8〜9ヵ月続けていました。土日はどちらか出勤で、ひどい時はどちらも出勤。仕事も上司も同僚も、みんな良い人で好きでしたが、流石に疲労困憊していました。

とある土曜日、早朝から取引先に行かなければならず、早起きをして身支度を整えていました。用意をしながらも、今日はアレをやってコレを手配して...とずっと頭は働きっぱなし。そんな状態で家を出て、駅に向かっていました。きちんと歩いているし、当然目も開いていますが、頭は仕事の事でいっぱい。周辺の音や人の動きには全く意識が向いていませんでした。

もうすぐ駅に着くな、とふと我に返った瞬間。私の100mほど背後から誰かが叫ぶ声に気付きました。どうしたんだ?と思って振り向くと、一人のおじいさんが私に向かって何か叫んでしました。しばらく理解に苦しみましたが、わかった瞬間に私の心はメッタメタに。

 

以下、おじいさんの叫び。

 

オイ、お前このやろう!

それでも人間か!

ただ道を訊ねただけだろうが!

困っている人をそんな風に無視して、お前はそれでも人間か!!

このやろう!!

 

.....。

笑えない日々にこれは相当キツかった…。

元気な時の私ならば、真っ正面から道を訊ねてきた人に気付かないわけはありませんし、当然わかる範囲で応えたいと思っています。もし、ありえませんが、もし気付かなかったとして、おじいさんがそんな風に背後から叫んでいたら、元気な私はおいじじいだまれと心で呟いて無視するでしょう。路上で害を叫ぶ必要はありません。

それでも人間か。すごい言葉です。人間じゃなかったら何なのか。鬼か?私が鬼に見えたのか??おじいさんからしてみたら、確かに無視されたことに驚き、ショックを受けたのかもしれません。それは申し訳なかったと心から思いますが、あの人どうしたんだろう?とまずは疑問に思って頂きたい...。人は時に深刻な事情を抱えている場合があり。

 

結論。働き過ぎは良くない。そして、そんな気がなくても人によっては人間が人間として認識されない。

人間はコミュニケーションというツールを持っています。それは他の動物よりも高度に出来るはずです。本来は理解し合うために使うものですが、鬼コーチしかり、おじいさんしかり、人を傷つける道具にもなり得ます。

 

人を鬼にしてはいけませんし、自分が鬼になってもいけません。

私自身にも言える事ですが、感情を怒りに直結させずに、広い視野や想像力、思いやりをもって暮らしていくことはとても大切だと感じます。特に今はこんなご時世です。大変だと感じている人は過去の日常の何倍もいて、みんなそれぞれ闘っています。表面上は笑っていても、泣き顔を見せたくないだけかもしれません。

私も帰国する事がままならず、昨年は精神的に追い込まれた時期もありました。状況は違えどみんな頑張っているんだと思い、山を乗り越えました。だからといって誰もが同じように全てを我慢すべき、というのはナンセンス。頑張る意味やポイントは人それぞれ。それこそ思いやりをもっていれば、暴走する事も批判する事もないはずです。

規則正しい生活と健全な精神で、鬼が入る隙を与えない。

そして自分の中の鬼は外へ追いやる。

当たり前のようでなかなか難しい課題ですが、大変な時期だからこそ意識せねばなりません。

沢山の”福”が頑張っている人々のもとに訪れますように。

 

今週のお題「鬼」