廃墟のサナトリウム
昨日からの続き、廃墟のサナトリウムです。
全然怖くないし。と最初は思っていた私も、その場の空気や思い込みでだんだん怖くなってきました。割れた窓から中をのぞくことも出来ましたが、そんな度胸はなく。
ただし、景色や空気は非常に気持ちが良い場所でした。
とりあえず一周してみる
廃墟の裏に行ってみました。
陽が当たると印象は変わります。この写真を撮った私の背後は沼。それはそれで綺麗なのですが、湖でも川でもなく沼ってところが少しゾッとします。
この周辺には本当にこの施設しかないので、当時働いていた人々は近くに住む必要がありました。その方達の為のアパートが何棟かあったのですが...。
それも全て廃墟。恐らくブルーベリー摘みに来ていた人の車が何台か停まっていましたが、大きな建物が数棟あるのにどこにも人が住んでいないって、ちょっと不気味でした。
サナトリウムの噂
そもそもなぜここが心霊スポットと呼ばれるようになったのか。
昔の結核は今のそれとは全く違うものでした。感染したとなれば差別をうけ隔離され。当時の感染者は治るという希望と共に、”終末医療”ということも念頭におき、色々な覚悟をしてここにやってきたはずです。亡くなってしまっても家に帰ることは出来ず、ここで火葬。高くそびえた火葬場の煙突をみながら、現代も似たような世界だよな...と色々感じることがありましたが、それはおいといて。
そんな風にここで生涯を終えた人々の魂が、彷徨っているという噂です。
建物内にまだ自由に出入り出来た頃、ここで一晩過ごすのが肝試しの定番だったそうです。そこで何人にも目撃されているのが次の現象。
- 部屋に入って来た10歳の女の子が、ベッドの足元で吐く。
- 暗い色の外套に身を包んだ険しい顔の男が廊下をうろついている。
- 廃墟と化した上階からのささやき声。
- 火葬場の冷え込みが尋常じゃない。
- 子ども病棟のキッチンから、子どもの足音。
.....。
ふぅん。怖いじゃん...。
中を見せてもらった
Husseのお父さんは、昔カメラマンのお仕事をしていました。10年前、所有者がまだインド人じゃなかったころ、中に入って写真を撮らせてもらったそうです。私達が行ったことを告げると、翌日その時の写真を見せてくれました。
医療器具や家具などそのまま残っており、生々しさが伝わってきました。火葬前に遺体を安置する場所にはマリア像の大きな絵が飾られていたり、レセプションには患者が遠く離れた家族と話す為の電話が置いてあったり、あまり荒らされていなくて驚きました。
どんな気持ちで過ごしていたのだろう。
幸せな一瞬もあったのだろうか...。
って考えていると憑かれやすくなるって聞いたことある!と小学生みたいに慌てた私は、色々な思考を散らして心を無にしました。
本当はこういうのが見たかった
サナトリウムからの帰り。廃墟裏にある沼をティトと眺めました。
帰り道、開けた場所まで再び40分間デコボコ道を走る訳ですが、行きには気がつかなかった建物を発見しました。
元々私が見たかったのはこういう建物でした。総レンガ作りでとっても素敵。中には重機などが置いてあり、外観とはミスマッチな用途で使われていましたが、修繕していない古びた感じも味があって◎。
わざわざ心霊スポットに行かなくてもあったね...。
たくさん遠回りして辿り着いた本来の目的地、でした。
心霊体験をしたわけでもなく、無事に帰宅も出来た訳ですが、やはり遊び半分で念が渦巻いている場所に行くのはあまりいい気分がしません。若い子達が刺激を求め、こういう場所ではしゃぐのはなんとなくわかりますが、おばさんはもういいです。
と思っていたら、ウチのHusseおじさん。隣町にも心霊スポットがあるからさ、今度行こうよ!だそうです。魂にもリスペクトを、と諭しましたが、どうなりますやら...。